病気に感謝した日
ヒプノセラピーを終えて、夜ごはんを近くの小料理屋さんで食べようと、家族で行った時のこと。
旦那さんが、仕事繋がりで知り合った方の、とあるSNSの投稿を見せてくれた。
その方の奥様がガンで最近亡くなられたという投稿をされていて、こんなようなことが書かれてた。
(センシティブな内容なので、公にシェアできず‥)
奥さんがガンだとわかってから、隣の部屋から子供や奥さんの声や物音が聞こえることも、明日にはもうないかもしれない。
この全ての瞬間が、もう明日にはないのかもしれない。だとしたら、この瞬間はとても貴重なものなのではないか。
ガンは自分たち家族を幸せにしてくれた。
「幸せはつくるものではなく、目の前にあるもの」
日常の一瞬一瞬が大切で、日常にこそ、きらめきや、ときめきがあることに気づき、喜怒哀楽が愛おしく思えた。
というようなことを書かれていた。
私はこの方を知らないけれど、涙がポロポロ出てきて、
私の中の何かが溶けていくのを感じた。
娘を産んでから、これまでの一年ちょっと。
本当に地獄のようだった。
様々な病気を併発した私は、いつ死んでも良いと思っていたくらい、毎日パニックになりながら生きていた。
でもね、今思うの。
私はこの病気がなかったら、
いや、この病気があったからこそ、私は魂を震わせて、ものすごいエネルギーをのせて表現することができる。
この病気があったからこそ、家族が、友人たちが、たくさんの人たちが、私を支えてくれていることに気づくことができた。
だから、苦しかった、不自由に思えたこれまでの30数年の人生も、
この経験があったからこそ、不自由があったからこそ、心から自由というものを体現できるのだと、そう感じた。
暗いがなければ、明るいを認識できないって、そういうことだなって、ふと思った。
そしてヒプノセラピーをさせてもらったこと、来てくださったことに感謝した。
相手がいるからこそ、表現ができるんだ。
支えてくれる、還る場所があるから、家族がいるから、自由に安心して表現できるんだ。
決して、この病気は無駄ではなかった。
辛いから、取り去ってしまいたかった。
病気も、不安も、恐怖も全部。
いなくなってしまえばいい!
そうやって消し去って、ないものにしてしまいたかった。
でも全部全部、まとめて受け入れて、包み込んでいこう。
私の大事な大事な一部なのだから。
私は初めて、病気を受け入れた。
そしてありがとうって感謝した。
多分、ずっとずっと、こんな風になった自分を蔑み、呪っていたんだ。
なんでこうなったんだ、どうしてこんなになるまで気づかなかったんだ!と。
こんなんだったら、生きたくない。
いっそ殺してくれと、そう、思ってたんだ。
(ドラマティックーwこういうやつほど、簡単には死なないw)
そして心から祈った。
どうかこれから、
私のこの経験が、
私から流れるエネルギーが、
淀みのない純粋な、魂から湧き出る表現が
必要とする沢山の人たちに、降り注ぎ、届きますように。
そして、ひとりひとりの本来持つ光が、まばゆい光となって、輝き出しますように。
それらが共鳴し合い、その美しい光の波及が、地球をも超えて、広がっていきますように。
ただただ、それだけだ。
ありがとう、ただ、ありがとう。
そして自分の魂と、回復しながらも頑張って生きてくれている体と全ての細胞に
畏敬の念を抱いた。
自分に対する心からの尊敬。
そしてそれは、みんなひとりひとりへの尊敬へとも繋がっていく。
私の宇宙も、あなたの宇宙も、とても尊くて愛しいんだ。
不思議な解放が起こった夜。
潜在意識に触れると、よく分からないことがたくさん起こるもんだ。
濃い、良い時間だったね。
そう旦那さんと言って、幸せな気持ちで帰った。
(一歳のあめりんこは、みかんをバクバク食いすぎて、小料理屋でゲロ吐いてたけどもw)
ただただ、目の前のことを丁寧にやっていこう。日常を大切にしよう。
そんなことを思ったあったかい日でした。